私の人生の中で、新興宗教というものに足を踏み入れるのは、たぶん後にも先にも、あの時の経験一度きりになるだろう。
もうだいぶ前の話だ(あえて何年前とは言いません。なぜなら敵は新興宗教なので、私の身に何か起こったらイヤだから)。私はマガジンハウスのものではない某情報誌の編集者だった。音楽デスクに所属し、コンサート担当だった私の仕事は、発売時期にコンサートホールでおこなわれるコンサート情報を5ページにわたって、日付別に掲載し、その期間中のおもしろそうなものをピックアップし、紹介記事を書くというもの。
コンサートといっても、有名芸能人のものもあれば、アマチュアバンドのライブなんていうのもある。情報が多い時期は、おのずと有名人のコンサート情報を優先することになるけれど、閑散期にはアマチュアバンドや市民オーケストラのような情報も取り上げるのだ。そんな私の元に、某年の春先、1通の手紙が届いた。
『○○編集部コンサート担当さま。○月○日、○○ホールにて私たち組織の中心人物である教祖Xのオリジナルコンサートを開催いたします。教祖Xは、いままで数々の奇跡を起こしてこられた方です。過去のさまざまな歴史的人物が彼女の体にのりうつり、いろんな予言をし、今までその予言どおりに世界が動いてきました。音楽的才能も普通の人間とは比べ物になりません。なぜならバッハやベートーベン、リスト、ショパン、ドボルザーク、モーツァルトといった、歴史に名を残す偉大な作曲家たちが、次々と教祖Xにのりうつり、瞬時にして作曲をしてしまうのです。今度のコンサートの終了時には、会場に奇跡が起こります。ぜひその教祖Xのコンサートを貴社の雑誌で紹介するべきです」
いかがわしい。非常にいかがわしい! 手紙にはその奇跡とはどういうものかが克明に記されていた(ここでは奇跡の内容を書いてしまうと、その信者から「これは教祖さまのことを書いている。侮辱するなんて!」と、この世から私が抹殺されかねないので書かないが……)。
そんなすごい霊が、次から次へと、のりうつるわけないじゃん! それも国籍がバラバラで、霊たちはその教祖にのりうつるために、列でも作って順番待ちしてんのかい! ちなみに私は音楽大学の出身で、子どもの頃から絶対音感がある。駄作なら、私だって瞬時に作曲できるし、どんなへんてこりんな詩にも音楽をつけて、ピアノで弾き語りができる。それこそバッハ風とか、桑田圭祐風とか。同じようなことができる人は、意外とたくさんいるものだ。
フンと鼻であしらい、私はその手紙をゴミ箱に捨てた。他にも掲載しなければいけない情報がいっぱいあったし、「紹介するべき」という、その傲慢な文面も気に入らない。人にものを頼むのなら、「お願いします」ぐらい書けよ! と言いたくなるような高飛車な表現である。しかもコンサートは無料。基本的に有料コンサート情報を掲載するのが、その雑誌のセオリーだ。
そして数か月後、すっかりそんな手紙のことを忘れていた私の元に、再び手紙が届いた。
「○○編集部、コンサート担当様。私は何ヶ月か前に、コンサート情報を提供した○○という組織の者です。前回は、私たちの教祖Xのコンサートの取材にいらっしゃいませんでしたね」
という文面で始まる不気味な手紙。その後には、あんな大切な機会をのがす私は、人間として本当にレベルが低いとか、災いがあるというようなことがずらずらと書かれている。そして1か月後に再度コンサートを開くので、それには絶対に来いと締めくくっているではないか。
「エリちゃ〜ん(泣)。あの新興宗教から、また変な手紙来たよぅ。今度手紙無視したら、私、不幸になるって。不幸なんてなるわけないとは思うけど、どっかで待ち伏せとかされて、変な事件に巻き込まれたりしたらやだよぅ。本当に不幸になっちゃうよぅ。どうしよう、行くのやだよぅ」
さすがに怖くなった私は、上司(エリちゃん)に泣きついた。するとエリちゃんは、
「おもろいやん! 新興宗教なんて、こんなことでもないと、なかなか経験できひんで。私も一緒に行こかなぁ。説教聞くとかとちゃうんやろ? コンサートやろ。物は試しやん。行こうや、一緒に!」
と驚愕の返事をしたのである。まったく頼りになる上司だ……。
そして1か月後、私は気が進まないなか、上司エリちゃんと、エリちゃんの友人で、エリちゃんに負けず劣らず濃い性格の放送作家、金太さんと3人で会場へ向かった。
「今日のコンサート、めっちゃ楽しみにしてたんやで、俺」
「私ら3人で、帰らぬ人とかなったりして。葬式のとき言われるんちゃうか? 新興宗教の呪いやとか。こんな死に方したら、うちのお母ちゃん嘆くわぁ。ハッハッハ。」
金太さんもエリちゃんも実にテンションが高い。ひとりテンションの低い私は、ふたりの後ろをとぼとぼと着いて行った。
会場に着くと、受付のところに大学生のような若いスタッフが立っていた。
「ここに名前を書いて、名刺も提出してください」
変なしゃべり方だ。名刺を渡さなければいけない状況には、さすがにエリちゃんも金太さんもちょっと狼狽していたようだが、さっさと受付をすまし、私たちは会場の中に入った。とその瞬間、私の目に飛び込んだのは、本当に今まで見たこともないような異様な光景。ステージの中心には、教会のシスターのかっこうをした教祖Xが、ブンカブンカとオルガンのような楽器を演奏し、オペラのような声で歌をうたっている。しかもちょっと音痴だ。金色と銀色の布で覆われたオルガンのようなものは、あきらかにヤマハのエレクトーン。そしてその左右に、一列に信者が並び、リズム感のない人のゴーゴーのような、へんてこな踊りを踊っている。信者たちは、オルガンを覆っている布と同じ布で、腕と首の部分だけを丸くくりぬいた、まさに学芸会や文化祭的な衣装に身を包んでいた。
「何や、この音楽をまったく知らんド素人が作ったような三流ミュージックは! バッハがのりうつっとるんちゃうんかい? これがベートーベンやって言うんかい? ほんまに笑わせてくれるわ」
「もうちょっと、マシな衣装作られへんのかなぁ? 布がもったいないわ」
「ほんでもあのステージの奴ら、ここの幹部なんやろなぁ」
「そりゃそうやん。ステージまで上がろう思たら、めっちゃ修行せなあかんねんで。金太は怠けもんやから、ここの団体に入っても、一生ステージは無理や」
物見遊山で同行した金太さんは、この異様な世界に大満足のようで、エリちゃんとふたりで、ニヤニヤしながら大声でしゃべっている。
異様なのはステージ上だけではない。だだっ広い会場の客席には、まばらに人がいて、席に座りながら体を揺さぶり手拍子をしていたり、自分も立って一緒にへんてこゴーゴーを踊っていたり……。そして時々、奇声を発しているのである。
「ウレシイッ」
「楽しいっ」
変だ! この人たちは何かが壊れている。それぞれの顔や服装をよく見ると、みんなとても若くて(最年長でも25歳くらい)、実にオタクな顔をしている。
「こいつら、学校とかでいじめられてた奴らばっかしなんちゃうか? 俺やったら、絶対こいつらイビルわ」
「そやからこんな宗教入ってるんちゃうん」
ふたりの会話がまわりの人に聞こえないか、私はもうヒヤヒヤものだ。
「あんた何ビビッってんの? こんなんまともにとってどうすんの?」
「おまえはほんまに、若いのぅ」
っていうか、あんたたちふたりの神経が太すぎるのだ。
何曲か歌が終わると、某女性誌の編集者と名乗る男性(この人物も異常に若く、有名雑誌の編集者などというのは、眉唾としか思えないような風体)が、演説を始めた。
「私たちの団体は、○○市から迫害を受けています。○○市は、我々がコンサートホールを借りてコンサートを開催しようとしたところ、最初は許可していたにもかかわらず、何日か後には我々の団体は不審だということで、貸し出しを一方的に拒否しました」
これに始まり、自分たちがどんな人から、どんなひどいことをされたかという、被害妄想的なアジテーションが続けられた。
30分もすると、さすがにエリちゃん、金太さんもうんざりしてきた。
「もう帰ろか。何かアホくさなってきた」
「コンサート終了後の奇跡いうのも、どうせ下手なマジックみたいなもんやろな」
私たち3人が席を立とうとすると同時に演説が終了した。再び教祖Xがステージに上がると、会場は張り詰めた空気に。私たち3人は外に出ることができなくなってしまった。
「さあ、教祖様がそのエネルギーを私たちにも分け与えてくださいます」
幹部の一人が声高々に叫んだ。今度は教祖Xがマイクの前に立つ。
「皆さん、笑うという行為がエネルギーを生み出します。大きな声で笑いましょう。笑う角には福来りぃ」
すると会場の観客全員が席を立ち、腰に手をあてて、ワーハッハッハッハと、マンガの台詞のように笑い出すのだ。中には体を前後に揺らしながら、本当におもしろくてたまらないというような動作とともに笑っている人もいる。
「会場出られるような雰囲気じゃないですよ。だから私来るのイヤだったんです!」
「あんたが泣きついてくるから、一緒に来てあげたんやんか」
「まぁええわ。もう少し待とう」
いったい「笑う角には福来り」という教祖Xの連呼と、気が狂ったような嘘笑いをどれくらい聞いたことだろうか。やっと教祖Xの号令とともに笑いが止んだ。
「いよいよ教祖様が、私たちにエネルギーを与えてくださいます」
すると静まり返った会場で、教祖Xはマイクに向かって「ウォー」という低い不気味な声を発した。それにつられて客席の信者たちは、お腹にレーザビームでもあてられているかのように、体をピクピクさせ、中には床に倒れこんでいる人もいる。
10分後、金太がうんざりしたように言った。
「もうええわ。帰ろか」
座っていただけなのに、妙に脱力している私たちは、会場を後にした。
コンサートホールから外へと出ると空は真っ青な秋晴れ。外気にふれるのが、何十年ぶりかのような、なんともいえない開放感を感じた。新興宗教って、本当に理解できない。あんな変な笑い方するくらいだったら、外でおもいっきりスポーツでもすればいいのに。あぁ、すがすがしい。
「ほんなら餃子でも食って帰ろか」
「餃子やったら、あの店行かへん? めっちゃおいしいねん」
えっ、宗教終わり? 変わり身早!
「餃子行くで、はよおいで」
妙な信者と同じくらい妙な上司に振り回される私であった。
(怖がり編集者 ヒロコ)
最近のコメント